2023/10/11

監督 伊藤大輔さんインタビュー

 日本で最も人気があるレースシリーズである「SUPER GT」のGT500クラスで、au(KDDI)がスポンサードしている「36号車 au TOM'S GR Supra」のチーム監督という大役を担っているのが伊藤大輔監督だ。伊藤監督はSUPER GTに長年参戦してきたレーシングドライバー出身で、2007年にはシリーズチャンピオンに輝いた実績を有している。2017年からau TOM'Sチームの監督になり、現在まで同チームを率いている存在だ。

 伊藤監督の監督としてのハイライトは、2021年の最終戦にau TOM'S GR Supraが逆転優勝し、念願のチャンピオンを獲得したことだろう。とても劇的な展開での大逆転で、印象に残る優勝とチャンピオン獲得となった。今シーズンは「ダブルエース」と称される坪井翔選手と宮田莉朋選手という今もっとも勢いがある若い2人のドライバーをそろえて、再びチャンピオン奪還を目指している。

元々はチームのドライバーをしていた伊藤監督、第一線から退くときに自然な流れで監督に

──SUPER GTとはどのようなレースでしょうか?

伊藤監督:SUPER GTは日本の自動車メーカー(トヨタ、日産、ホンダ)も参加していて、街中を走っている車種がベースになって作られたレーシングカーが走っています。F1のようなフォーミュラカーは、SUPER GTの車両よりも速いのですが、外見はどれもかなり似ていて、仮に同じ色に塗ってしまうと差が分からないと思います。しかし、SUPER GTではそうした自動車メーカーが出走しているGT500クラスでも、メーカー間で違う車両が走っていますし、GT300クラスではさらに市販車に近いレーシングカーが走っていて、それこそプリウスやGR86といった市販車をベースにした車両が走っていますので、自分が普段乗っている車両や、普段乗っているメーカーが作っている車両が走っています。そのため、現代のレースシリーズの中では応援する対象がもっとも作りやすいシリーズだと思います。

 また、スポンサーに関しても多種多様です。われわれのチームを支援していただいているauもそうしたスポンサーの1つで、例えば普段のスマートフォンをauで契約しているから、われわれのチームを応援しながらレースを楽しんでいただくというファンの方も多いです。さらに、タイヤメーカーも4社参戦して激しい競争が行なわれているのですが、世界的に見てもタイヤの競争をしているというレースはほかにはないです。

 このように、メーカーも、スポンサーも、タイヤメーカーも多種多様で、かつコンペティティブなレースというのはほかにないと思います。

──伊藤監督が監督になられた経緯を教えてください。

伊藤監督:私は元々レーシングドライバーをしていました。2016年までこのチームでドライバーとして走っていたのですが、その年がドライバーとしてSUPER GTを走る最後の年になって、その後チームからお話をいただき監督という立場を任せてもらいました。何かきっかけがあってということではなく、本当に自然な流れでというのがよい表現でしょうか。

──ドライバーから監督になられて、ドライバーとは違った立場で目を配らないといけないことは多いのではないかと思います。ドライバー時代との違いはどんなところでしょうか?

伊藤監督:私はドライバー出身であるからこそ、ドライバーが何を言っていて、チームに何を求めているのかを理解できます。それに対して監督というのはチーム全体を見て、何かをしていかなければいけないので、それが自分にできるのかという点では最初は迷いや不安はありました。

──そういうことも含めてやっていけそうかなと感じた時期はいつごろでしたか?

伊藤監督:やはり3年程度はかかったと記憶しています。それまでずっとドライバーとしてやってきたのもありますし、正直に言えば、ドライバーという仕事に未練を感じていなかったと言えば嘘になりますし。そういうことを日々勉強して、レースウィークの組み立て方、そして1年間を通してどのように戦っていくのかに関して、チーム内のいろいろな立場の人たちの話も聞いて、それを自分が集約してコントロールしています。最初はそういうあたり前のことも分かっていなかったので、試行錯誤の連続でしたね。

TOM'Sは日本を代表するレーシングチーム、そしてそのスポンサーauは伊藤監督の現役時代の憧れだった

──伊藤監督はauがスポンサーとしてTOM'Sチームのスポンサーになった2016年にはドライバーとして、そしてその後は監督して一貫してauがサポートする36号車に関われています。auに対してどういう印象をお持ちですか?

伊藤監督:かつて自分がドライバーとして参加していた時代には、ライバルのセルモチームをauがスポンサードしていました。その時代にとても強くて、いつも前のほうを走っているチームとジョイントされているスポンサーという印象で、いつかあそこで走ってみたいなと思っていました。

──TOM'Sというチームはどういうチームでしょうか?

伊藤監督:モータースポーツに詳しくない方でも、F1の代表チームとしてフェラーリがあるということはご存じだと思います。TOM'Sというチームはそれに近いと思います。日本を代表するレーシングチームと言っても過言ではないです。私がまだ駆け出しの若手レーサーだったころに、全日本F3選手権という若手選手の登竜門のシリーズがあったのですが、私の所属していたチームの最大のライバルがTOM'Sチームで、とにかくいつでも強くて、負かせるのが大変でした。その意味で、「いつかはTOM'Sで」という憧れでもありましたね。

 TOM'Sチームに入って分かったことは、TOM'Sの共同創始者であり、現在の会長でもある舘信秀さんの存在が非常に大きいですね。舘さんのフィロソフィーがずっと引き継がれていて、レースに取り組む情熱や熱量はものすごいですね。そしていつでも「責任は自分が取るから攻めろ!」と言ってもらえるので、ドライバーもチーム関係者も萎縮することなく挑戦できる。そういうことが可能なチームでとても居心地がいいです。

──監督としてどんなことを信念にして戦っていますか?

伊藤監督:最終的に年間チャンピオンを取ることを目標としていますので、それを実現する上で1番必要だと思っているのは、皆が同じ方向を向くことです。われわれのチームには多くの人が関わっています。しかし、同じメカニックであっても、入って1年目の新人もいれば、ベテランもいます。ベテランになればなるほど勝ちたいという意識を持つ一方で、入ったばかりの新人の方は、まず仕事に慣れないといけないという意識が強いなど、少しずつ違いがあります。チームマネージャーもそうだし、大きく言えばドライバーもそうですよね。そういうすべての関係者がau TOM'S GR Supraが優勝するんだ。そしてシーズンの終わりにはチャンピオンを取るんだという強い気持ちをちゃんと持てるか?それが大きな勝負の分かれ目になってくるので、きちんとコミュニケーションを取ってみんなに同じ方向を向いてもらう、それを常に心がけています。

──例えばどんなコミュニケーションを取っていますか?

伊藤監督:レース以外のとき、たまに食事会を開いて、たわいもない話をするようにしています。あるいはメカニック同士でしている雑談の内容を拾って、そういう機会に「あの話はどうなりましたか?」なんてポロって聞いてあげたりすると、向こうも心を開いて話してくれますので。そういう本当にたわいもないことを自分は重要だと考えています。

 やっぱり監督やリーダーは、それだけで相手に威圧感を与える可能性があるじゃないですか。そういうときに相手に対して言いたいことが言えないというのが人間だと思うのです。だからこそ、こちらから小さいことでも話しかけることで、コミュニケーションが円滑になる、そう考えています。

チーム監督をやってよかったと感じたのは、2021年にauとともにシリーズチャンピンを獲得したとき

──チーム監督をやってよかったというようになったのはいつごろでしょうか?

伊藤監督:それはやはり2021年にチャンピオンを獲得したときです。単発のレースで優勝するというのはあったのですが、そのときに初めて監督としてチャンピオンを取れたのでとてもうれしかったです。もちろん、どのレースでも勝ちたいとは思っていますが、最終的にわれわれが狙っているのは年間チャンピオンなので、そこに向けて1年の流れを常に考えて体制を作ってきています。それが成果として現れたのが2021年だったのでよかったと感じました。

 モータースポーツというのはマシンを使うスポーツですが、ドライバーにせよ、メカニックにせよ、触っているのは人間です。どんなチームスポーツでもそうですが、表に出るのは一部の関係者だけですよね。レースでもスポットライトが当たるのはドライバーですよね。しかしながら、レースをしているのはドライバーだけではないのです。例えば、SUPER GTではレース中に、ピット(車両の作業をする場所)に入ってタイヤ交換、給油、ドライバー交代をする必要があります。そういうときに、メカニックがタイヤ交換をミスするとせっかくドライバーがタイムを縮めてもすべてが無駄になってしまう。そのようにドライバーだけでなく、メカニックもレースしているのです。

 もっと大きく言うと、マシンを設計する人、チームのロジスティックスを管理するマネージャーなどなど、ここでは紹介しきれないぐらい多くの関係者が関わってレースチームを運営しています。そうした人がみんなで勝利を、そしてチャンピオンを獲得した喜びを分かち合うことができる、それがチームを運営していく醍醐味ですね。

──その意味では2021年の最終戦でチーム監督としてチャンピオンを獲得したときと、2007年に自身がドライバーとしてチャンピンを獲得したときとで、違いはありますか?

伊藤監督:ドライバー時代は毎レース、毎レース、とにかく速く走る、結果を出すということしか考えていませんでした。しかし、監督の立場としては、やはりシーズン全体を見据えてどう組み立てていくかを常に考えています。というのも、われわれが参戦しているSUPER GTはサクセスウェイトという制度があって、勝った人や上位に入賞した人には次のレースから重りを積まれてしまうため、次のレース以降は上位入賞が難しくなります。そこで、そのサクセスウェイトがどこでどれくらい積まれたら、シーズン全体を通して有利になるのか、そういうことを常に頭に入れて戦う必要があります。同時にサクセスウェイトが重くなっても、少しでもポイントを取ってコツコツと積み上げていく、そういうことが大事になってきます。そうしたことを積み上げてきて、最後にチャンピオンを取れたときの気持ちは、ちょっとドライバー時代とは違います。

おもしろいと感じるのは運転しているとき。少しでも速く走りたいという気持ちは現役時代と変わらない

──「au」のブランドメッセージ「おもしろいほうの未来へ。」にちなんで、最近「おもしろい」と思うことは何ですか?

伊藤監督:運転することが楽しいです。先日TOM'Sのドライビング講習のイベントがありました。私はもっと上達したい人向けのアドバンスコースの講師を担当しているのですが、イベントの前にその参加者の方の基準となるタイムを作るために、イベントごとに毎朝自分で試走しています。基準タイムを作るために毎回データを収集し、そのデータを見ながらもう少し改善するにはどこだろうなんてことを見ながら、少しずつタイムを上げていくことをコツコツやっています。そういうのが本当に楽しいです。

──参加者の方で伊藤監督のタイムに近づけた方はいらっしゃるのですか?

伊藤監督:もちろんいらっしゃいますよ(笑)。講師の立場としては参加者の皆さんに上手になってほしいので、むしろどんどん自分のタイムに近づいてもらうように講習をやっています。でも今のところ、まだ私のタイムを破れた参加者の方はいらっしゃらないです。やっぱり破られたらショックですからね(笑)。

 私はレースの世界で生きてきましたし、現役から退いてそれほど年数は経っていないので、やっぱり自分でステアリングを握って運転するのが本当に楽しいです。

 だからこそ、ドライバーがこう言っているというのをエンジニアに翻訳して伝えるのも自分の役割だと思っています。ドライバーがどうしてこう言っているのか、それはドライバー出身の自分だから分かることがあると思います。もちろん、その逆にエンジニアやチームがこう考えているということも、ドライバーの気持ちになって伝えられるかなと。

──今年の2人のドライバーは若手なのに「ダブルエース」と呼ばれて、どちらのドライバーもチームのエースを任せられるレベルのドライバーだと言われています。伊藤監督から見て2人はどんなドライバーでしょうか?

伊藤監督:2人ともドライバーとしての能力が飛び抜けて高いと感じています。レース経験ということを考えると小さなころからずっとレースをやっていますので、自分たちの時代とは違うと感じています。マシンに対する知識も豊富でエンジニアと対等に対話できていて、2人ともとにかく頭がよくてスマートですね。

 ただ、時々ですが今時っぽいと感じるところもあって、例えばわれわれのチームではスタートドライバー(スタート時に乗るドライバー)は坪井選手にやってもらうことが多いのですが、あるときに宮田選手にお願いしようと思ったらとても不安そうな顔をされました。大人っぽい側面と、そうした子犬的な側面が同居しているのもかわいいですね(笑)。

──最後に今シーズンの目標を教えてください。

伊藤監督:年間チャンピオンを取ることが目標です。レーシングチームなので、本当は全部のレースで勝ちたいと思っているのですが、SUPER GTでは上位に入賞すると次のレースで重りが乗せられるというサクセスウェイトにより、全レースで勝つことは難しいです。そのため、そうしたサクセスウェイトが重くなった状態で、苦しい中でもできるだけ上位に入ってポイントをコツコツと積み重ねていくことが勝利の方程式です。そして最後に誰よりも多くポイントを取ってチャンピオンになるということを目標にしてやっています。

 ドライバーにしてみれば、とにかくポイントだと頭では分かっていても、やはり勝ちたいと思うのがレーサーですから、ポイントが取れる順位でしぶとく走るということをやっているとストレスが溜まるようで、ときにそれがチームと口論になったりすることもあります。でも、そうしたことを受け止めてあげるのが監督としての自分の仕事だと考えているので、うまくクッションになって、シーズンが終わったときにやっぱりあのときはああしておいてよかった、なんてことを言い合えるような結果になるといいなと思っています。